【あなたはどの思想??】3分でわかる哲学者「なぜ悪があるの?」「嘘は悪?」「何も知らないことを知る」

哲学者たちの集まりのイメージ

知識を愛する」という意味をもつ「哲学」。

Ads by Google

哲学:Philosophia

Philein:愛する | Sophia:知識

世界・社会・幸福・死 など,答えが見えない(出づらい)問題に対して,常識を疑うときに用いられる学問です。

今の世界,科学や政治,宗教が完璧だとは言えないでしょう。
「どうしたらいいのだろう」と行き詰まり,状況が良くないと思ったとき,人は哲学を知ろうとします。

哲学者の思想は,現代にもさまざま取り組まれています。

Ads by Google

ギリシャ時代の哲学者たち

→何も知らない事を知る事から始めよう【ソクラテス】

ソクラテス
ソクラテスの物語

ある日「ソクラテス以上にかしこい者は一人もいない」と評判がありました。
「自分は賢明ではない」と自覚するソクラテスは,その言葉の間違いを示すため,自分より賢い者がいることを証明しようと世間の知識人たちに問答しました。
ところが知識人たちは,自分が話す内容をよく理解していなかったため,かえってソクラテスが知識人たちに説明することになりました。
自分よりかしこい者がいることを証明するつもりが,結果的にソクラテスの賢さが,なお世間に知れ渡ることになってしまいました。

ソクラテスは自分より賢い人がいることを証明するため,政治家や貴族といった知識人たちに「門答法もんどうほう」を行いました。

問答法とは,ある一つの問題を与え,相手が答えた回答に対し,その回答に矛盾むじゅんする質問を与えることで,より高い認識へと導いていく手法“のことです。

たとえば,このような会話となります。

ソクラテス
ソクラテス

あなたにひとつ,疑問を与えます。

うそをつくことはあくですか?

貴族や知識人
貴族や知識人

嘘をつくことは悪でしょうね。

ソクラテス
ソクラテス

なるほど。
では,あなたが待ち合わせ時間にピッタリ到着したとして,
遅刻した人に「自分もいま到着したとこだよ」といった,気遣きづかいの嘘は悪ですか?

貴族や知識人
貴族や知識人

それはどうだろう…。
(あれ?嘘は悪なのだろうか?)

人は多くの事を何でも知っているかのように思い込んでおり,普段使っている言葉の意味すら理解していないことが明らかになりました。

「自分たちは何を知っているのだろう」と,ホントは何も知らないまま生きていることに知識人たちは気付かされたのです。

これがソクラテスの「無知の知」です。
(何も知らないということを自覚した人が何かを知ろうとする)

「無知の知」について,詳しくはコチラ↓↓

「我々には,まだまだ知らないことが多すぎる。一歩違う国に踏み込めば,常識がまったく異なるではないか・・・。」

まだ何も知らないという事を知ることから始めよう。
>> ソクラテス – まんがでわかる –

→人は同じモノでも見え方が違う【プラトン】

プラトン

ソクラテスの弟子プラトンは,哲学者として真理を追い求めました。

プラトンの思想
  • 相対主義そうたいしゅぎ
  • イデア

相対主義とは

プラトンが生きた時代は,相対主義という考え方が主でした。

相対主義とは,「相対的に概念は決まる」という考え方です。

次を見てみましょう。

例えば,「善」について考えてみる。

A国:やられたらやり返すことが「善」とされる。
B国:やられてもやり返さないことが「善」とされる。

このように,国の価値観によって「善」とされることが真反対になることがあります。
「善」とは相対的なもので,国や社会によって変わるものだという考えが相対主義です。
相対主義では「善」とは国や社会によって変わるので「本当の善」「絶対的な善」は存在しないと考えられていました。

引用:https://brave-answer.jp/16990/#outline_2

それでも,プラトンは「善そのもの」「唯一の善」を求めました。

文化によって「善とされるもの」は違っても,人は「善」という概念を共通して持っているのではないかとプラトンは気付きます。

誰もが認める本当の「善」は存在しているとし,そういった本当の「善」や本当の「美」など,人によって変わることなく,人類が共通して思い浮かべるものを “イデア” と名付けたのです。

イデア

イデアとは,あるものに対しての「イメージ,理想,概念」といった意味合いがあります。

すべての人がイデアという抽象的な概念をもっており,イデアがあるから物事を判別できるということです。

例えば「トマトのイデアについて」会話をする様子です。

A
A

私が思うトマトとは,赤色で丸い形をしている。

B
B

「私が思うトマトも,赤色で丸い。」
(しかし,それだけでは相手はリンゴのことを頭に思い浮かべながらトマトだと言っているかもしれない…。)

あなたが思うトマトには,緑色のヘタはついているのか?

A
A

ああ,緑のヘタもついているね。

B
B

私が思うトマトと同じだ。

(=私のトマトに対するイデアと同じだ。)

この場合,AさんもBさんも共通するイデアを持っていると言えます。

プラトンはイデアを突き詰めれば,人類全ての理想が統一されると考えました。

そこで,統一に最も重要なのは「善」や「美」のイデアでした。

「何が良くて,何が良くないか」「何が美しくて,何が美しくないか」

人々の思う「善」や「美」が統一すれば,さらに「本当の善」や「本当の美」のイメージに近づき,より良い世界になるとプラトンは考えたのです。

プラトン
プラトン

物事について,他の人と同じイメージを共有しあえば,更にその物事の本質へ向かえるのだ。

イデア論

さらに,プラトンは「イデア論」を唱えました。
不完全な現実の世界に対して,完全で真実である世界をイデアとした考えです。

「完全で真実である世界が実存する」

そのことを説明する「洞窟どうくつ比喩ひゆ」は有名です。

洞窟の比喩とは?(簡略)

この世界の姿をプラトンが例えたものです。

外の世界を知らず,子供の時から洞窟に閉じこめられている人は,外からの光によって映される影だけを現実として捉えてしまうことです。

あるとき一人だけ解放され,外の光を知り,他の囚人に真実を伝えようとしますが,洞窟にいる囚人はなかなか信じようとはしません。

プラトンは洞窟の中をこの世界に例え,洞窟の外の世界,太陽(イデア)の下は完全で真実である世界を表します。

人が見ている現実は,完全で真実である世界の影にすぎないと考えたのです。

イラストでわかる「洞窟の比喩」こちら

物事について,他の人と同じイメージを共有しあえば,その物事の本質へ向かえるのだ。
人が見ている現実は「完全で真実な世界」の”影”にすぎない。

プラトンの著作についてはコチラ↓↓

→自然にあるものを見るべきだ【アリストテレス】

アリストテレス

「全ての者は生まれながらに知恵を求める」

プラトンの弟子であり,万学の祖と呼ばれるアリストテレス。

アリストテレスは,プラトンの「観念的なイデア」に対して,アリストテレスは「現実に即したイデア」でした。今ある現実こそ真実のものとして見るべきだと主張したのです。

(先ほどの)トマトのイデアなら,「トマトとは,赤くて,丸くて,ヘタがあって・・・」と表現するより,

アリストテレス
アリストテレス

「そこにあるトマトは,そのトマトでしかない

と,なります。

観念的なものは極端に考えてしまい,善や美から外れていくのではないかとアリストテレスは考えたのです。

例えば,「強い」といっても,強すぎると乱暴になり,そうでないと「弱い」となりえる。「優しい」といっても,優しすぎるとお節介や過保護とみられ,そうでないと「冷たい厳しい」とみられる。

こうしたことから,アリストテレスは「バランスや調和を意識した,自然と見えているものが大事だ」と考えたのです。

ものごとに囚われるのはよくない。
ありのまま,自然の中にあるものを見ていこう。

「万学の祖」と呼ばれるアリストテレスの主張は,その後も世の常識として何百年も続きました。

中世の哲学者たち

→神がいるのになぜ悪があるの?【アウグスティヌス】

アウグスティヌス

「見たことも触ったこともないが神を知っている。なぜなら神という存在を認識しているからだ。そして神は存在する。」

神という概念があることを主張し,多くの人に神の存在を証明したアウグスティヌス。

しかし,ある疑問が投げかけられました。

「神という完全な存在がいるなら,なぜ悪の行いがあるのだ」

アウグスティヌスは答えます。

アウグスティヌス
アウグスティヌス

神は人に自由意志を与えているのだ

神が人を愛している最大の証明は,人に自由を与えたこと。

神に背く自由まで与えることで,本当の自由があり,完璧な愛がなされているという主張です。

よって,善を行うか悪を行うかは,人の自由意志によって決まり,神の意志ではないということです。

神には悪を止める力はありますが,人の行動を強制的に止めることは自由意志に反しており,
自由を認められない,人間が奴隷的な状態であることを神は望まないのです。

神は人間に「自由意志」を与えることで,自らが”愛の存在”であることを示しているのだ。
>> 旧約聖書 – まんがでわかる –

→自由ってどういうこと?【デカルト】

デカルト

「我思う,ゆえに我あり」

「自分は存在しているかと考えたとき,存在しているから考えることができている。よって,自分は存在している」,数学者でもあるデカルトの名言です。

神を知る人は「自分はなぜ存在してるか,神が創造したからである」と理解ができました。一方で,神を知らない人や,思想の違いがあっても説明できる原理をデカルトは追い求めました。

私たちは,自分の理性で選択する自由を持っている。
よって,「眠たいから寝る」や「お腹が空いたから食べる」と言うのは,自分の意志とは関係がなく,自由とは言えない状態としました。

我思う ゆえに我あり
(自分が自分を思うとき,自分というものが存在しているのだ)
>> デカルト – まんがでわかる –

→一度決めたことは曲げない【カント】

カント

カントの定言命法ていげんめいほう

理由をつけて行動するのは,理性的ではなく自由でもないとしました。

たとえば,

「私が手伝う理由は,あの人が大変そうだから手伝うのだ」

これは,大変そうな人を手伝うというのは自然の摂理で,自由な行動ではないとしました。

そして,理性的で自由な行動とは,

「私は,自分や相手の状況に関わらず,手伝うといったら手伝う」というのが理性的であり,自由な行動であるとしたのです。

自分の道徳心が,嘘は良くないと決めたなら,いかなる状況でも嘘をつかないという一貫性を持たせる。

これが自分で決めているということであって,理性であり,自由ではないだろうか。

自分の道徳心が行動を決める。これが理性的で自由なのである。
状況に応じて変えることなく,一貫している行動が望ましいのだ。
>> カント – まんがでわかる –

→物事の答えは他者との間にある【ヘーゲル】

ヘーゲル

ヘーゲルは思いました。

「物事の答えは,自分の中にあるのではなく,他者との関係にあるのではないか?」

ヘーゲルの「弁証法べんしょうほうというものがあります。

対話することによって,一歩上の次元に向かうというものです。

たとえば,このような会話です。

A
A

その物体,私には◯(丸く)見える。

B
B

私には△(三角)に見える。

…(どちらかが間違いで終わらせず)…

A<br>
A

では話しあいましょう。

どうやら,私はその物体を上から見ているようだ。

B
B

私は横から見ている。

A
A

上から見たら◯,横から見たら△か…。
 

上から見ると丸く,横から見ると三角に見える物体は,円錐であることを表すイラスト

我々はきっと,円錐えんすいを見ているかもしれないね。

B
B

“円錐” というものを発見したね!

話し合うことで相手と新しい次元に向かうことができました。

これが,ヘーゲルの弁証法です。

妥協できるところは妥協して,認めるところは認めるというように話を進展させていくのです。

「物事の答え」は自分の中にあるのではなく「他者との関係」にあるのだ。

→自分にとっての真理は必要だ【キルケゴール】

キルケゴールの肖像
キルケゴール

「自分にとっての”真理”が必要なのだ」

キルケゴールは実存主義を主張しました。

実存主義とは,実際に存在する自分のための哲学というものです。

「絶望」とは何か?

さらに,キルケゴールは「絶望」についても主張しています。

  • 自分の能力と見合わない夢を見る
  • 自分の能力を諦めて全てを捨てる

どちらも絶望している状態を表しているといいます。

たとえば,

「私はどうせ金持ちになれない」と悲観することや,「私は億万長者になるんだ!」といった自分の能力に見合わないような夢を抱くことは,絶望を表しているのだとキルケゴールは主張します。

過酷な人生を歩んだキルケゴールは,絶望というものに気付き,絶望してはいけないことを伝えたかったのです。

キルケゴールの肖像
決して,絶望してはならない
>> キルケゴール – まんがでわかる –

→人は強くならなければ【ニーチェ】

ニーチェの肖像
ニーチェ

哲学者ニーチェは思いました。

「弱い人間は救われるべきなのに,現実は,高い階級の人によって,搾取されているのではないか?やはり人間は強くならなければ・・・」

「・・・どうしたら強くなれる?」

力への意志が必要だ。強いものに対する妬みを克服するのだ!」

弱者が強者に対して抱く「嫉妬や怒り,非難の感情」を「ルサンチマン」と呼びます。

このルサンチマンを克服することが大事だとニーチェは主張したのです。

人間は超人を目指すのだ。
ニーチェは,超人を「どれだけ批判されても自己肯定を続けるもの」としました。

ニーチェの肖像
人間は強くあらねばならない。超人を目指すべきなのだ。
>> ニーチェ – マンガでわかる –

→人間はどうしたら人間らしいだろう【アーレント】

アーレントの肖像
アーレント

「ニーチェの思想『力への意志』・・・,ただ強くなれば良いという考えでは,過激な人物を生み出してしまう。」

人間はどうあれば,人間らしいのだろうね

アーレントの思想

人間は「労働」「自己表現」「仕事」の3つを行うことが望ましいと考えました。
 

労働食べるためにする仕事お金稼ぎ
仕事クリエイティブな自己表現自己表現
活動公共のためにする仕事ボランティア

この思想は誤った人間のサイクル,

  1. 人間は労働ばかりして,空き時間に消費ばかりしていている。
     ↓
  2. 考える時間がなくなっている。
     ↓
  3. 考えなくなったら人間ではなくなる。

この負の連鎖を,正しい方向へ向かわせます。

「仕事と活動によって,人間らしさを取り戻せる」と考えたのがアーレントなのです。

ハンナ・アーレントの肖像
自己表現とボランティアによって,人間らしさを取り戻せる。
>> 「人間の条件」 ハンナ・アーレント

→生活は必要最低限で十分だと思う【エピクロス】

エピクロスの肖像
エピクロス

エピクロスの思想は「快楽主義」と呼ばれていますが,エピクロスがいう快楽とは「心の平穏」のことです。

生きるために,自然と必要になる「食事・健康・衣服・住居・友情」のみを追求すれば,心は穏やかでいることができ,それが快楽であるという主張です。

瞬間的に大きな快楽を得たとしても,後に生じる不快の方が勝ってしまうので,贅沢に暮らしたり,多くの欲求を満たすことよりも,苦痛を避ける方が幸せだというのです。

質素な生活を続ける事こそが,心が平穏でいられる(快楽)であり,幸福であると主張した,エピクロスの「快楽主義」。

今では「ミニマリスト」「断捨離」という形で,現代にもみられる思想です。

また,エピクロスは「死」に対しても,恐怖を抱かないように主張していました。

「死というものは,自分が死ぬときにしか訪れず,死んだときには,もはや自分は存在していない」よって,死を恐れる必要はないという考えです。

エピクロスの肖像
私が存在する時に死は存在せず,死が存在する時に,私はもはや存在しない。
 

→人との繋がりが幸せだと思う【アドラー】

アドラー

心理学者アルフレッド・アドラーの思想は「共同体感覚」です。

「自分の利益を求めるだけでは幸せになれない。
人とのつながり,『共同体感覚』によって,人は幸福を感じるのだ」

他者を敵ではなく仲間とみる事で,自分の居場所が生まれ,仲間のために貢献しようと思える。これを「共同体感覚」といい,幸せを得られるとアドラーは言います。

「共同体感覚」を身につける必要なもの3つです。

  1. 「自己受容」
  2. 「他者貢献」
  3. 「他者信頼」

「自己受容」

自分自身の良い所と良くないと思う所をそのまま受け入れることです。出来ない所から受け入れると良いです。
ありのまま自分を受け入れると「私は〜が出来ないから,どういう対応をしようか」と考えることができます。

「他者貢献」

他者に貢献することで自分自身の幸せを得ることができます。
仮に自分が「自由」を選んだとしても,他者に貢献しているという思いを持ち続けると,自分の道を見失わずに進むことができます。

「他者信頼」

他者貢献するには,他者を信頼して「仲間」と思うことが大切です。
見返りを求めるのではなく,無条件で他者を信頼することです。
たとえば,相手が裏切るか裏切らないかは相手の問題ですので,自分が関与する必要はありません。

「褒める・叱る」などは上下関係を生む縦の関係なので,「ありがとう」と感謝をする横の関係に「共同体感覚」はあります。

人に貢献している意識,「共同体感覚」によって幸福を得られるのだ。

「共同体感覚」は宇宙まで

共同体感覚の範囲は,宇宙まで広がる,とアドラーは言います。
共同体感覚や連帯感は,制限を受けたり拡大しながら生涯続いていき,家族だけでなく,民族や全人類にまで広がります。
さらに限界を超え,動物や植物,無生物にまで,そして遥か遠い宇宙まで広がることがあるとされています。

「アドラー心理学 160万部突破のベストセラー」

アドラー心理学「嫌われる勇気」についてはコチラ↓↓

おわりに

近い思想をもった共感できる哲学者はいましたか?

数多くの名言は私たちに知識を与え,ときには寄り添い,力を与えてくれます。

名高い哲学者たちはマイノリティの立場にありながら,世の中の真理を究明し,ときには批判を浴びながらも,現代に新たな気づきを与えてくれます。