哲学:Philosophia
Philein:愛する | Sophia:知識
知識を愛するを意味する「哲学」という言葉。
世界や社会,幸福および死など,答えが見えない(出づらい)問題に対して,常識を疑うときに用いられる学問といえるでしょう。
科学や政治,宗教が完璧だとは誰も断定できません。
「どうしたらいいのだろう」と状況が行き詰まったとき,人は哲学を知ろうとする傾向が表れるのです。
今なお溢れる哲学者の思想は,現代にさまざま取り組まれています。
この記事では,12人の哲学者たちについて,3分でわかるように要約しています。
→何も知らない事を知る事から始めよう【ソクラテス】

ある日「ソクラテス以上に賢い者は一人もいない」と評判がありました。
「自分は賢明ではない」と自覚するソクラテスは,その言葉の間違いを示すため,自分より賢い者がいることを証明しようと世間の知識人たちに問答します。
ところが知識人たちは,自分が話す内容をよく理解していなかったため,かえってソクラテスが知識人たちに説明することになりました。
自分より賢い者がいることを証明するつもりが,結果的に,自らの明哲さがなお世間に知れ渡ることになってしまいました。
ソクラテスは自分より賢い人がいることを証明するため,政治家や貴族といった知識人たちに「門答法」を行いました。
問答法とは,ある一つの問題を与え,相手が答えた回答に対し,その回答に矛盾する質問を与えることで,より高い認識へと導いていく手法“のことです。
たとえば,このような会話となります。

あなたにひとつ,疑問を与えます。
嘘をつくことは悪ですか?

嘘をつくことは悪でしょうね。

なるほど。
では,あなたが待ち合わせ時間にピッタリ到着したとして,
遅刻した人に「自分も今到着したとこだよ」といった,気遣いの嘘は悪ですか?

それはどうだろう…。
(あれ?嘘は悪なのだろうか?)
人は多くの事を何でも知っているかのように思い込んでおり,普段使っている言葉の意味すら理解していないことが明らかになりました。
「自分たちは何を知っているのだろう」と,ホントは何も知らないまま生きていることに知識人たちは気付かされたのです。
これがソクラテスの「無知の知」です。
(何も知らないということを自覚した人が何かを知ろうとする)
「無知の知」については次の記事が参考になります。
「我々には,まだまだ知らないことが多すぎる。一歩違う国に踏み込めば,常識がまったく異なるではないか…。」

→人は同じモノでも見え方が違う【プラトン】

ソクラテスの弟子プラトンは,哲学者として真理を追い求めました。
- 相対主義
- イデア
相対主義とは
プラトンが生きた時代は,相対主義という考え方が主でした。
相対主義とは,「相対的に概念は決まる」という考え方です。
次を見てみましょう。
例えば,「善」について考えてみる。
A国:やられたらやり返すことが「善」とされる。
B国:やられてもやり返さないことが「善」とされる。このように,国の価値観によって「善」とされることが真反対になることがあります。
引用:https://brave-answer.jp/16990/#outline_2
「善」とは相対的なもので,国や社会によって変わるものだという考えが相対主義です。
相対主義では「善」とは国や社会によって変わるので「本当の善」「絶対的な善」は存在しないと考えられていました。
それでも,プラトンは「善そのもの」「唯一の善」を求めました。
文化によって「善とされるもの」は違っても,人は「善」という概念を共通して持っているのではないかとプラトンは気付きます。
誰もが認める本当の「善」は存在しているとし,そういった本当の「善」や本当の「美」など,人によって変わることなく,人類が共通して思い浮かべるものを “イデア” と名付けたのです。
イデア
イデアとは,あるものに対しての「イメージ,理想,概念」といった意味合いがあります。
すべての人がイデアという抽象的な概念をもっており,イデアがあるから物事を判別できるということです。
例えば「トマトのイデアについて」会話をする様子です。

私が思うトマトとは,赤色で丸い形をしている。

「私が思うトマトも,赤色で丸い。」
(しかし,それだけでは相手はリンゴのことを頭に思い浮かべながらトマトだと言っているかもしれない…。)

あなたが思うトマトには,緑色のヘタはついているのか?

ああ,緑のヘタもついているね。

私が思うトマトと同じだ。
(=私のトマトに対するイデアと同じだ。)
この場合,AさんもBさんも共通するイデアを持っていると言えます。
プラトンはイデアを突き詰めれば,人類全ての理想が統一されると考えました。
そこで,統一に最も重要なのは「善」や「美」のイデアでした。
「何が良くて,何が良くないか」「何が美しくて,何が美しくないか」
人々の思う「善」や「美」が統一すれば,さらに「本当の善」や「本当の美」のイメージに近づき,より良い世界になるとプラトンは考えたのです。

物事について,他の人と同じイメージを共有しあえば,更にその物事の本質へ向かえるのだ。
イデア論
さらに,プラトンは「イデア論」を唱えました。
不完全な現実の世界に対して,完全で真実である世界をイデアとした考えです。
「完全で真実である世界が実存する」
そう説明する「洞窟の比喩」は有名です。
この世界の姿をプラトンが例えたものです。
外の世界を知らず,子供の時から洞窟に閉じこめられている人は,外からの光によって映される影だけを現実として捉えてしまうことです。
あるとき一人だけ解放され,外の光を知り,他の囚人に真実を伝えようとしますが,洞窟にいる囚人はなかなか信じようとはしません。
プラトンは洞窟の中をこの世界に例え,洞窟の外の世界,太陽(イデア)の下は完全で真実である世界を表します。
人が見ている現実は,完全で真実である世界の影にすぎないと考えたのです。
「洞窟の比喩」は次の記事が参考になります

人が見ている現実は「完全で真実な世界」の”影”にすぎない。
プラトン著作について
→自然にあるものを見るべきだ【アリストテレス】

「全ての者は生まれながらに知恵を求める」
プラトンの弟子であり,万学の祖と呼ばれるアリストテレス。
プラトンの観念的なイデアに対して,現実に即したイデアを唱えました。
アリストテレスは,「今ある現実こそ真実のものとして見るべきだ」と主張したのです。
たとえば,
トマトのイデアなら「トマトとは赤くて,丸くて,ヘタがあって…」と表現するより,「そこにあるトマトは,そのトマトでしかない」と捉えたのです。
アリストテレスは考えました。

「観念的なものは極端に考えてしまうため,善や美から外れていくのではないか」
例えば「強さ」の程度は,強すぎると乱暴になり,強くなさすぎると「弱い」となります。
また,「優しさ」の程度では,優しすぎるとお節介または過保護とみられ,優しくないと「冷たい厳しい」とみられがちです。
こうしたことからアリストテレスは,「バランスや調和を意識した,自然と見えているものが大事だ」と考えたのです。

ありのまま,自然の中にあるものを見ていこう。
「万学の祖」と呼ばれるアリストテレスの主張は,その後も世の常識として何百年も続きました。
→神がいるのになぜ悪があるの?【アウグスティヌス】

「見たことも触ったこともないが神を知っている。なぜなら神という存在を認識しているからだ。そして神は存在する。」
多くの人に,神の存在と概念を主張してきたアウグスティヌス。
しかし,ある疑問が投げかけられました。

「神という完全な存在がいるなら,なぜ悪の行いがあるのだ」
アウグスティヌスは答えます。

神は人に,自由意志を与えているのだ。
神が人を愛していることの最大の証明は,人に自由を与えたこと。
聖書によると,神は人を創造した存在でありながら,自身に背くまでの自由を人に与えました。
このことにより本当の自由が完成し,さらに神から人への完璧な愛がなされている理由にあたります。
よって,善を行うか悪を行うかは,人の自由意志に委ねられているのです。
神には悪を止める力はありますが,人の行動を強制的に止めることは自由意志に反します。
人間が自由を認められない隷属的な状態であることを,神は望まないのです。

→自由ってどういうこと?【デカルト】

「我思う,ゆえに我あり」
「自分は存在しているかと考えたとき,存在しているから考えることができている。よって,自分は存在している」
数学者でもあるデカルトの名言です。
神を知る人は「自分はなぜ存在してるか,神が創造したからである」と理解ができました。
ここでデカルトは,思想の違いがあっても説明できる原理を追い求めました。
人間には,自らの理性で選択する自由がある。
とどのつまり,「眠たいから寝る」や「お腹が空いたから食べる」といった生理的な原理は,自分の意志とは関係がないため,自由ではない状態と主張しました。

(自分が自分を思うとき,自分というものが存在しているのだ)
→一度決めたことは曲げない【カント】

カントの「定言命法」(理由をつけて行動するのは,理性的および自由ではない)。
たとえば,
「大変そうだから手伝う」という発言。
大変そうな人を手伝うことは自然の摂理とし,自由な行動ではないとしました。
理性的で自由な行動とは,「自分や相手の状況に関わらず,手伝うと決めたら手伝う」というのが理性的で自由な行動としたのです。
自分の道徳心が嘘は良くないと決めたなら,いかなる状況でも嘘をつかないという一貫性を持たせる。
このことが,自分で決めるという,理性的で自由であると考えたのです。

状況に応じて変えることなく,一貫している行動が望ましいのだ。
→物事の答えは他者との間にある【ヘーゲル】

「物事の答えは自分の中にあるのではなく,他者との関係にあるのではないか?」
ヘーゲルの「弁証法」。
対話することによって,一歩上の次元に向かうというものです。
たとえば次のような会話です。

その物体,私には◯(丸く)見える。

私には△(三角)に見える。
…(どちらかが間違いとしない)…

では話しあいましょう。
どうやら,私はその物体を上から見ているようだ。

私は横から見ている。

上から見たら◯,横から見たら△か。

我々はきっと,円錐を見ているかもしれないね。

円錐というものを発見しましたね
丸や三角の情報から,相手と話し合うことで円錐という新しい次元に向かうことができました。
これがヘーゲルの弁証法です。
妥協できるところは妥協して,認めるところは認めるというように話を進展させていくのです。

→自分にとっての真理は必要だ【キルケゴール】

「自分にとっての真理が必要なのだ」
キルケゴールの実存主義。
実際に存在する自分のための哲学というものです。
さらに,キルケゴールは「絶望」について主張しています。
次の例を絶望している状態としました。
- 自分の能力と見合わない夢を見る
- 自分の能力を諦めて全てを捨てる
「私はどうせ金持ちになれない」と悲観すること,または「私は億万長者になるんだ!」といった自分の能力に見合わないような夢を抱くことは,絶望していることを表しているとキルケゴールは主張します。
過酷な人生を歩んだキルケゴールは絶望という概念に気付き,絶望してはいけないことを多くの人々に伝えたかったのです。

→人は強くならなければ【ニーチェ】

「弱い人間は救われるべきなのに,現実は高階級の人によって,搾取されているのではないか?やはり人間は強くならなければ・・・。力への意志が必要だ。強いものに対する妬みを克服するのだ!」
弱者が強者に対して抱く嫉妬や怒り,非難の感情であるルサンチマン。
このルサンチマンを克服することが大事だとニーチェは主張しました。
「人間は超人を目指すのだ。」
ニーチェは,超人を「どれだけ批判されても自己肯定を続けるもの」としました。

→人間はどうしたら人間らしいだろう【アーレント】

「ニーチェの思想『力への意志』…。ただ強くなれば良いという考えで,過激な人物を生み出してしまう。人間はどうあれば,人間らしいのだろうね」
人間は「労働」「自己表現」「仕事」の3つを行うことが望ましいと,アーレントは考えました。
労働 | 食べるためにする仕事 | お金稼ぎ |
仕事 | クリエイティブな自己表現 | 自己表現 |
活動 | 公共のためにする仕事 | ボランティア |
以下は誤った人間のサイクルです。
- 人間は労働ばかりして,空き時間に消費ばかりしていている。
- 考える時間がなくなっている。
- 考えなくなったら人間ではなくなる。
アーレントは,この負の連鎖を正しい方向へ向かわせます。
「仕事と活動によって人間らしさを取り戻せる」と考えたのです。

→生活は必要最低限で十分だと思う【エピクロス】

エピクロスの思想「快楽主義」。
彼が主張する快楽とは「心の平穏」のことです。
生きるために,自然と必要になる「食事・健康・衣服・住居・友情」。
これらのみを追求すれば心は穏やかでいられる。このことを快楽としました。
たとえば,瞬間的に大きな快楽を得たとしても,後に生じる不快の方が勝ってしまいます。
贅沢に暮らしたり多くの欲求を満たすことよりも,苦痛を避ける方が幸せだと主張したのです。
質素な生活を続ける事こそが,心が平穏(快楽)で幸福とされる「快楽主義」。
今では「ミニマリスト」「断捨離」という形で,現代にもみられる思想です。
また,エピクロスは「死」に対しても恐怖を抱かないように主張しています。
「死は自分が死ぬときにしか訪れず,死んだときには自分は存在していない」
よって,死を恐れる必要はないと主張したのです。

→人との繋がりが幸せだと思う【アドラー】

心理学者アルフレッド・アドラーの思想「共同体感覚」。
「自分の利益を求めるだけでは幸せになれない。人とのつながり,『共同体感覚』によって人は幸福を感じるのだ」
他者を敵ではなく仲間と見ることで自分の居場所が生まれ,仲間のために貢献しようとすることを「共同体感覚」と主張しました。
「共同体感覚」を身につける必要なもの3つです。
- 「自己受容」
- 「他者信頼」
- 「他者貢献」
「自己受容」
自分自身の良い所と良くないと思う所をそのまま受け入れることです。出来ない所から受け入れると良いです。
ありのまま自分を受け入れると「私は〜が出来ないから,どういう対応をしようか」と考えることができます。
「他者信頼」
無条件で他者を信頼することです。見返りを求めません。
このとき,相手が裏切るか裏切らないかは相手の問題であるため,自分が関与する必要はありません。
次の「他者貢献」に至るには,他者を信頼して「仲間」と思うことが前提です。
「他者貢献」
他者に貢献することで自分自身の幸せを得ることができます。
仮に自分が「自由」を選んだとしても,他者に貢献しているという思いを持ち続けると,自分の道を見失わずに進むことができます。
「褒める・叱る」などは上下関係を生む縦の関係であるため,「ありがとう」と感謝をする横の関係に「共同体感覚」はあります。

「共同体感覚」は宇宙まで—
「共同体感覚の範囲は宇宙まで広がる」とアドラーは言います。
共同体感覚や連帯感は,制限を受けたり拡大しながら生涯続いていき,家族だけでなく,民族や全人類にまで広がります。
さらに限界を超え,動物や植物,無生物にまで,そして遥か遠い宇宙まで広がるとされているのです。
「アドラー心理学 160万部突破のベストセラー」
アドラー心理学「嫌われる勇気」は次の記事が参考になります
おわりに
自分と近い思想,または共感できる哲学者はいましたか?
数多くの名言は私たちに知識を与え,ときには寄り添い,力を与えてくれます。
名高い哲学者たちはマイノリティの立場にありながら,世の中の真理を究明し,ときには批判を浴びながらも,現代人に新たな気付きを与えてくれるのです。