【独学王】レオナルド・ダヴィンチ『絵画から学ぶ』(前編)

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レオナルド・ダヴィンチの作品「モナリザ」を観賞する人々のイメージ

「最後の晩餐」や「モナリザ」を描いたことでも人知れる『レオナルド・ダヴィンチ』
(作品の下地など)新たな発見によって,幾度も現代に蘇り,多くの人を魅了し続けます。

レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像
自画像:レオナルド・ダヴィンチ作(60)

「ダヴィンチは聞いたことあるけど…,どういう人物か分からない」

それもそのはず,ダヴィンチは学習された分野がとても多く,興味や業績が幅広いために,素顔がハッキリ見えてこないのです。

レオナルド・ダヴィンチが学習した分野

(音楽,数学,物理学,天文学,幾何学,解剖学,生理学,力学,光学,航空力学,気象学,地理学,地質学,動植物学,土木光学,建築学,軍事分野)

ダヴィンチは「習得した学問はすべて芸術のためだ」と言われるほど,「万能の天才」と呼ばれる由縁があります。
しかし,レオナルド・ダヴィンチは裕福な家庭に生まれたわけではなく,学校へは通っていませんでした。

まともな基礎教育を受けておらず,勉強はすべて独学なのです。

さて,多岐に渡る分野から幾度となく再沸され,あらゆるジャンルの人たちから尊敬を集めるレオナルド・ダヴィンチ。

そんな独学王に憧れる人も多く,あのMicrosoft創立者ビルゲイツもその一人。
ダヴィンチが遺したメモを買い取り,実際に所持しているほどです。

それでは,芸術家レオナルド・ダヴィンチの生涯,彼の作品から学んでまいりましょう。

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生まれと少年時代

レオナルドの出身地の景色

引用:https://youtube.com

1452年4月15日イタリアのトスカーナ州フィレンツェにある「ヴィンチ村」でレオナルド・ダヴィンチは生まれます。
「父」は公証人セル・ピエロ,「母」は農夫の娘カタリーナ。しかしお互い結婚をしていませんでした。

※公証人:弁護士や会計士のような仕事

5歳まで共に過ごしたダヴィンチの母親は,別の男性と結婚しました。その後ダヴィンチは,別の女性と結婚した父親に引き取られることになります。

ダヴィンチは幼少期,自然に囲まれて育ったため豊かな探究心が育まれた,と考えられています。

植物や動物,昆虫のスケッチを繊細に描き,まるで写真のような描写と優しさに溢れる絵であると好評判だったようです。

子供の頃に学んだ分野は「数学と幾何学,ラテン語」だと言われています。

(*幾何学=図形や空間に関した数学の分野)

ダヴィンチは14歳になると,絵の才能があったため有名な美術工房へ入ることになります。

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レオナルド・ダヴィンチが描いた絵画

レオナルド・ダヴィンチが生涯に描いた作品は非常に少なく,13〜17点(諸説あり)しか本人が描いたものだと認められていません。

絵画が少ない理由はダヴィンチの性格が完璧主義で,「中途半端なものを世に出したくない」や「自分が納得するまでやる」といったこだわりが影響しているようです。

さて,ダヴィンチは14歳のとき,父の計らいで後の師匠となるヴェロッキオの美術工房へ入ることになります。
その後,15歳になるとデザイン面での才能を開花していきました。(絵画,彫刻,工芸,建築など)

そして20歳を迎えたレオナルド・ダヴィンチは,今なお語られる作品を生み出します。

それではダヴィンチの作品を順番に見ていきましょう。

(レオナルド・ダヴィンチ:20歳)
作品「キリストの洗礼」

レオナルド・ダヴィンチの作品「キリストの洗礼」
『キリストの洗礼』(1472)

聖書に登場する人物「洗礼者ヨハネ」がイエス・キリストに洗礼を行う様子を描いた作品。

当時有名な「ヴェロッキオ工房」へ弟子入りしたレオナルド・ダヴィンチ(20)が,師匠ヴェロッキオと共同で制作しました。
ダヴィンチが担当した箇所は,左側の天使や背景,中央の人物(キリスト)の一部分とされています。

この作品によりダヴィンチは,師ヴェロッキオから工房の絵画部門を任せられることになりました。

ダヴィンチがあまりにも上手く天使を描いたからですね。
その後,ヴェロッキオ自身は彫刻に専念したという逸話があります。

それでは,次の作品を見てみましょう。

(レオナルド・ダヴィンチ:21歳)
作品「受胎告知」

レオナルド・ダヴィンチの作品「受胎告知」
『受胎告知』(1473)

聖書に登場する天使(ガブリエル)が乙女マリアにメッセージを告げるシーンを描いた作品。

受胎告知じゅたいこくち』はレオナルド・ダヴィンチと師ヴェロッキオが共に手掛けた作品です。
ダヴィンチが担当した箇所は天使や背景,建物とされています。

当時は,「天使てんしの絵を描いてほしい」と依頼があれば,天使だけを目立たせることが主流でした。
しかしダヴィンチは天使だけでなく,背景や建物も繊細に描くことで,「現実味リアリティある表現」にこだわりを見せたのです。

また,絵画において天使を表現する流行トレンドとしては,「天使は神につかえるスゴい存在だからつばさを虹色にする」という傾向がありました。
しかしダヴィンチは虹色の翼といった非科学ひかがく的な要素を嫌い,現実に存在するものを取り入れるようにしました。
(天使の翼部分は後世の人に描き直されてしまい,元より伸びてしまったようです)

当時は「天使はスゴイ存在だから豪華に描く」といった理由もありましたが,「天使を現実的リアル馴染なじませている」表現が斬新だったのです。

このとき,ダヴィンチが絵画に取り入れた要素は「科学的な観点」や「空気遠近法」といった表現技法です。
どちらも背景がかすんでみえる斬新な表現でした。

ダヴィンチが描いた天使の翼の色は,「実物で見た鳥の羽」から連想して,白に近い色にされたそうですね。

その影響は,現代における「映画」や「ゲーム」などで登場する天使にも及んでいますね。

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(レオナルド・ダヴィンチ:22歳)
作品「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」

ジネブラ・デ・ベンチの肖像
『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』(1474)

貴族である「ジネヴラ・デ・ベンチ」(16歳)を描いた作品。

当時,美人で有名だった「ジネヴラ・デ・ベンチ」の結婚祝いに描かれたものです。
気質まで表現された絵画として高く評価され,肖像画の表現方法を大きく進歩させたとみられています。

レオナルド・ダヴィンチが描いた女性の肖像画,全4作品の1つです。
 

ダヴィンチは絵画を制作するとき,「教会の人」もしくは「貴族」に依頼されていますよね。

どちらから依頼されているか,絵画を見て判別できます。

  • 聖書に関係した作品→「教会の人」
  • そうでない場合→「貴族」

今回は「貴族」の人に依頼されたことが分かりますね。

天才とうたわれるレオナルド・ダヴィンチですが,この頃は女性の表情や輪郭を描くレベルはまだ高くないとされています。(現段階では顔や表情が固い印象)

しかしここから,あの「モナリザ」を描くレベルに達するまで,レオナルド・ダヴィンチは腕を上げ続けます。

絵画を順番に見ると,レオナルド・ダヴィンチの成長がお分かりいただけます。

(レオナルド・ダヴィンチ:23歳)
作品「カーネーションを持つ聖母」

カーネーションの聖母
『カーネーションを持つ聖母』(1475)

聖書に登場する人物「聖母マリア」がカーネーションの花をもち,我が子の運命を想って慈悲じひの眼差しを向けている様子を描いた作品。

赤いカーネーションの花は「母性」や「母への愛」を表します。

「母の日にはカーネーションを贈る」
そうしたキッカケにも挙げられる作品です。
 

当時は,多くの画家が「背景の空」や「部屋の内観」に力を入れて描いていました。
しかしダヴィンチは人物を目立たせるために白調にして,背景は黒調にする独特のセンスを発揮しています。

まだ女性の顔や表情が固い印象を受けますね。

(レオナルド・ダヴィンチ:26歳)
作品「ブノアの聖母」

『ブノアの聖母』(1478)

聖母マリアが赤子イエスをひざの上であやす様子を描いた作品。

レオナルド・ダヴィンチが師ヴェロッキオから独立し,初めて描かれた絵画です。

当時は,絵画の流行として人物の目線が重要視されていました。
この作品でも母親と赤子の視線がしっかりと描かれており,女性マリアの優しい微笑ほほえみと,母親らしい表情が表現されています。

モナリザの制作時に使われたレオナルド・ダヴィンチ独自の技術「スフマート技法」(ぼかして描く手法)が,この作品にも表れ始めているようです。

このときのレオナルド・ダヴィンチは,「神聖しんせいなものを神聖に描くだけでよいのか」という疑問を抱いており,現実性リアリティを出すためには,人間に備わっている本来ほんらいの美しさを絵に落とし込む必要があると考えました。

そこで絵に現実性をもたせるため,科学的要素や建築学,解剖学の知識を絵画に取り入れたのです。

ダヴィンチが人物を描くときに感じていたことは,「人間の輪郭りんかく線はハッキリ見えない」というものでした。

そこで生まれたのが「スフマート技法」です。

スフマート技法は「絵が乾いたら塗る」を繰り返す手法であるため、完成には時間を必要としますが,顔の輪郭線をぼかす自然なグラデーションを生み出せます。

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(レオナルド・ダヴィンチ:28歳)
作品「荒野の聖ヒエロニムス」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品「荒野の聖ヒエロニムス」
『荒野のヒエロニムス』(1480)【未完成】

手にもつ石で左胸を何度も叩きつけ,自分の欲望と闘う聖人ヒエロニムスを描いた作品。

ヒエロニムスの顔の周辺には「四角い跡」が見られます。
これは一度切り取られて紛失した部分であり,後に発見されたものが貼り付けられているのです。

この作品は未完成に終わり,その理由は「依頼者側がお金を払わなかったこと」や,「同じ時期に作品の依頼が来て立て込んだ」など諸説あります。

レオナルド・ダヴィンチは「荒野こうやせいヒエロニムス」を制作中に納得いかず破棄しましたが,別の誰かが発見した後にダヴィンチが描いたものだと判明されました。

顔の部分をよくみると四角で切り取られた跡が見られますね。

盗難があったのに,どうしてダヴィンチの作品だとわかったのでしょうか?

「荒野のヒエロニムス」は,人体の構造を理解している人しか描けないとされています。

当時は,解剖学の知識や人体の構造をしっかり理解している画家が他にいなかったこともあり,ダヴィンチの作品だと判明されたようですね。

…さすが独学王レオナルド・ダヴィンチ。

「万能の天才」ですね。

ちなみに絵の右下には,かつてヒエロニムスが助けたライオンの描写が見られますね。

気付いていましたか?

(レオナルド・ダヴィンチ:29歳)
作品「東方三博士の礼拝」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品「東方三博士の礼拝」
『東方三博士の礼拝』(1481)【未完成】

神の子が生まれると聞いた三人の博士が東方から足を運び、祝福する様子を描いた作品。(聖書の内容)

聖母マリアと赤子のイエス・キリストが中心部分に描かれています。

ある説では,木の右根本あたりで天を指している人物が「洗礼者ヨハネ」であったり,そのヨハネの右下の人物はダヴィンチの自画像という説があります。
この作品は未完成に終わりました。

未完成の理由は諸説あります。
一つ目は,依頼の報酬を「お金」ではなく「土地」で渡されたことによって換金が困難となり,絵の具を買えなかったという説。
また,制作中にダヴィンチが転居したため制作を中止したという説が挙げられます。

10〜20代のダヴィンチ

レオナルド・ダヴィンチの肖像画

本記事でご紹介したダヴィンチは10~20代でした。
ダヴィンチは10~20代にかけてイタリアのフィレンツェに留まり,充実した日々を送っていたとされます。

16世紀の伝記によれば性格は気前が良く,見た目は美しかったようです。
胸まである流れるような巻き毛はこの上なく優雅だったと書き記されています。

出典:BBC「レオナルド・ダ・ヴィンチ よみがえる幻の名画」

後編へ続きます

さて,いよいよ30代に入るレオナルド・ダヴィンチ。
あるときは音楽家や医学者,さらには天体観測や空を飛ぶ方法を探求したりと,好奇心は絶えることがありません。

さまざまな分野に精通し,画家としても腕を上げ続け,いよいよ成熟期に入るダヴィンチの作品が次々と登場します。
さらに,Microsoft 創立者”ビルゲイツ”が実際に所持しているダヴィンチのメモにも注目です。

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