前編ではダヴィンチの生い立ちから,画家として独立する時期までの作品にふれました。
前編はこちら▼
およそ500年経った現在でも世界的に有名なレオナルド・ダヴィンチ。
引き続きダヴィンチが生み出した世界遺産や,未完成ながら名作となった作品の数々を見ていきたいと思います!
【レオナルド・ダヴィンチの絵画】
レオナルド・ダヴィンチは年齢を重ねる度に作品を生み出し,自分の才能を伸ばし続けた結果,世界的に有名な人物となりました。
収入のほとんどは勉強のために本を買い集める,まさに独学王として作品に顕在しています。
それでは続きの作品を紹介していきます!
(レオナルド・ダヴィンチ:31~34歳)「岩窟の聖母」
赤子の洗礼者ヨハネとイエス・キリスト,そして聖母マリアと天使ウリエルを描いた作品
岩窟の聖母は,人物の持ち物や仕草で誰かを特定できる表現「アトリビュート」が特徴的です。
ダヴィンチのこだわりが強く反映されたためか,世間では問題作として捉える人もいます。(後述)
2020年2月,最新のX線分析によって,「岩窟の聖母」から隠された下書きが発見され再び話題を集めました。
現在(2022)はナショナルギャラリー(ロンドン)にて保存されています。
人物の持ち物やポーズ等からどういった人物であるかを特定する「アトリビュート」という技法があります。
ところが,ダヴィンチは当時に流行していたアトリビュートを良く思っていませんでした。
当時の流行としては,天使の輪があることでキリストだと表現されていましたが,ダヴィンチは独自のアトリビュート(表現)をこの作品に取り入れています。
ダヴィンチは「岩窟の聖母」においてキリストを表現するとき,天使の輪ではなく,「神聖な者にしかできない二本指を少し前に立てるポーズ」で表したのです。
また,(作品右)天使の背中の翼は衣服で隠して盛り上がらせることで,翼のある存在(天使)とする斬新な表現(アトリビュート)が取り入れられています。
しかし,「岩窟の聖母」の制作を依頼した教会側は,「天使なのに翼が無い」といった理由でガッカリし,裁判沙汰にまで至りました。
およそ20年後(1495-1508),「岩窟の聖母」の制作共同者プレディス兄弟によって,天使の翼などをつけ加えられたものが納められることになりました。
描き加えられた「岩窟の聖母」
才能がありながらも,なかなか認められないレオナルド・ダヴィンチの人生は続きます。
あるとき,ミラノにいるイルモーロ公という人物にダヴィンチは紹介され,制作にあたります。
この時期に描いていた作品
「岩窟の聖母」の1年後,ダヴィンチはある有名な作品を描いています。
(レオナルド・ダヴィンチ:37~38歳)「白貂を抱く貴婦人」
ダヴィンチが仕えていた貴族イルモーロ公の妾を描いた作品
(イルモーロ公の依頼で制作)
タイトルに貴婦人とありますが,当時17歳の少女の肖像です。
白貂は上流階級の人を表す象徴とされています。
女性の目線は白貂ではなく前方を見ており,当時では珍しい「動きのある絵画」です。
身体をひねる構図と手のシワや骨格の緻密な描写は,人体構造に詳しいダヴィンチの才が発揮されており,「モナリザ」よりも美しいと称されることもある肖像画です。
ポーランドの国宝とされており,レオナルド・ダヴィンチが描いた女性肖像画における全4作品の1つです。
背景が黒い理由は,多くの人の手に渡ってきたことや損傷箇所を復元する際に塗りつぶされたと言われています。
「白貂を抱く貴婦人」は18世紀にポーランドの王室に買い取られ,19世紀にはドイツやフランス,ヨーロッパの国々を転々とする数奇な運命を辿りました。
なお,このことは20世紀までほとんど知られていませんでした。
未完成の作品や問題作が続いたダヴィンチですが,今回はビシッと美しい絵に仕上がっていますね!
この作品を依頼したイルモーロ公が後ほど,「最後の晩餐」をダヴィンチに依頼しますよ。
(レオナルド・ダヴィンチ:38~44歳)「ミラノの貴婦人」
ダヴィンチが仕えていた貴族イルモーロ公の別の妾を描いた作品
(イルモーロ公の依頼で制作)
ダヴィンチのスフマート技法(ぼかし)が上達し,いよいよ「モナリザ」を描く直近の作品にあたります。
レオナルド・ダヴィンチが描いた女性肖像画における全4作品の1つです。
ダヴィンチは続けてビシッと2つ目の肖像を描いたことで,自身が仕えていたイルモーロ公から称賛されましたよね。
顔の輪郭をぼかすスフマート技法が,いよいよ「モナリザ」を描くレベルに達してきましたね!
はい!
そして次の作品が「最後の晩餐」です。
(レオナルド・ダヴィンチ:43~46歳)「最後の晩餐」
イエス・キリストと弟子12人の晩餐,裏切り者が判明し騒ぎになる様子を描いた作品
(聖書の内容)
レオナルド・ダヴィンチが仕えていたイルモーロ公の要望によって,「縦4m20cm 横9m10cm」と大きな壁画として描かれました。
「最後の晩餐」の保存状態は,作品が描かれたときのクオリティを維持できておらず,当時の姿を留めている部分は全体のおよそ2割程度とされています。
1日1ミリしか進められない修復作業によって形を留めている,まさに奇跡の作品です。
当時ダヴィンチのスポンサーは,ミラノにある「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院」に寄付しており,その修道院にある食堂の壁画として「最後の晩餐」をダヴィンチに制作依頼しました。
今でも一日に何千人もの人が絵画を見に来るようになりますが,作品を見られる時間は15分ほどのようです。
「最後の晩餐」は,中央に描かれたキリストが「この中で裏切る者が現れる」と宣言し,弟子たちが慌てる様子を描いています。
当時は多くの画家が描こうとしますが,表現が難しい作品でした。
レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」が評価されているポイントは,「誰が裏切るか分からない様子」と同時に「誰が裏切るか分かる描写」がしっかり表現できている点です。
聖書によると,キリストと同じタイミングで食べ物を手に取る人が「裏切り者」とありますよね。
「裏切り者のユダ」の配置は,制作にあたり多くの画家を悩ませていました。
制作困難とされる「最後の晩餐」ですが,レオナルド・ダヴィンチはイエスとユダのやりとりをしっかりと描いていたのです。
ユダはあらぬ方向へ視線を向け,さりげなく手を伸ばしています。
人体に詳しいダヴィンチだからこそ描ける,体を自然にひねった姿勢ですね。
「最後の晩餐」は,イエスを中央に配置しながらも,裏切り者のユダがわかるように表現されていたのですね。
「最後の晩餐」の保存状態について
壁画を描くにあたり,水彩絵具は相性が良く馴染みやすいとされていました。
しかし、レオナルド・ダヴィンチは「テンペラ技法」(油と卵を混ぜたもので描くこと)が得意でした。
しかし,テンペラ技法は時間とともに腐りやすい性質があったため,カビによる侵食が起こりました。
それに加えて「最後の晩餐」は,戦争や勝手に描き直す人が現れたことで,被害を受けていたのです。
さらには,食堂に換気口をつける理由で,「最後の晩餐」の下部分はくり抜かれてしまい,現在も中央に描かれているキリストの足下はありません。
こうした理由で,「最後の晩餐」が原型を留めている部分は2割程。
1日1ミリしか進めれない修復作業によって,なんとか形を保ち,厳重に保存されているのです。
「最後の晩餐」(実物)までたどり着くには,何重もの扉を通り抜けないといけませんよね。
壁画の状態を守るため,湿気対策が徹底されているようです。
「最後の晩餐」は損傷や被害の多い絵画ですね。
ちなみに修復作業は,透明のコーティングの上から色を加えているので,ダヴィンチの作品を直接に触れない方法を取っています。
次の作品の前に(?)
「最後の晩餐」から1年後,この時期にダヴィンチは「知られざる作品」と呼ばれる肖像画を描いています。
50代を迎えるレオナルド・ダヴィンチ
1499年にミラノを去り,再び好奇心の赴くまま新しいことを始めます。
ベネチアでは海の水から街を守る方法を研究し,ローマでは壮大な建築物を設計しました。
そして50代を迎えたダヴィンチは,若き日に画家としてスタートしたフィレンツェに戻りました。
そこでは地図を制作したり,建築家やデザイナーとしてもひっぱりだこで,さらには川の流れを船で通れるように計画するといったこともしました。
画家としても称賛を浴び,誰もがダヴィンチの絵を楽しみにしていましたが,ゆっくりと丁寧な仕事ぶりは変わらなかったようですね。
「ダヴィンチの作品は素晴らしいが,なかなか完成しない」と嘆く人まで出てきたようですね。
さて,たまにしか筆を取らないとも言われるレオナルド・ダヴィンチですが…。
ここで,ある商人から「妻の肖像を描いてくれ」と依頼され,誰もが知る有名な作品が生まれました。
(レオナルド・ダヴィンチ:51~65歳)「モナ・リザ」
「リザ・デル・ジョコンド」という婦人を描いた作品
フランスやイタリアでは,別名「ラ・ジョコンダ」(ジョコンダ夫人)と呼ばれます。
「モナ・リザ」は長きに渡りモデルが不明でしたが,2005年に「リザ・デル・ジョコンド」という女性であることが判明しました。
絹織物を扱う商人であるリザ・デル・ジョコンドの夫「フランチェスコ・デル・ジョコンド」の依頼によって制作されました。
作品のタイトルを「モナ・リザ」としたのはダヴィンチではなく,後世によってつけられたそうです。
(「モナ」はイタリア語で「貴婦人」という意味)
レオナルド・ダヴィンチが描いた女性肖像画における全4作品の1つで,現在はパリのルーヴル美術館に飾られています。
ダヴィンチは人間の輪郭線が見える描き方に疑問を抱いていたため,スフマート技法(輪郭線を指でこすってぼかす技術)を何年も続けて「モナリザ」完成させました。
「モナリザ」の表情のやわらかさは,スフマート技法を何年も続けることによって生み出されていたのです。
制作を依頼したフランチェスコ・デル・ジョコンドは,ダヴィンチが制作中にイタリアを離れたため,完成品を受け取ることはできませんでした。
(その後も完成まで,ダヴィンチはイタリアの宮廷で「モナリザ」の制作にあたります)
ダヴィンチが仕えていた貴族イルモーロ公が戦争で逃走したことによって,ダヴィンチは納期に追われることなく,じっくりと時間をかけて「モナリザ」を完成させることができました。
モナリザの魅力は,その微笑みが鑑賞する人に対して,会話しようと感じさせるところにあります。
そのため,見る人と作品の間に特別な繋がりが生まれ,目にするたびに違う印象を与えると言われているのです。
(レオナルド・ダヴィンチ:56歳)「聖アンナと聖母子」
聖母アンナの膝に座る聖母マリアが羊を抱える赤子イエスを抱き抱える様子を描いた作品
ダヴィンチが磨き上げた*表現技法の集大成が描かれた作品です。
*表現技法・・・人物の視線,空気遠近法,スフマート技法など
人体に詳しいダヴィンチだからこそ,描かれている人物は自然な構図で組み合わされています。
この作品の下絵段階では,「赤子イエスが抱える羊を洗礼者ヨハネにする」という一案があったようです。
この作品は「モナリザ」と同時期に制作していることが時系列からわかりますね。
「モナリザ」と「聖アンナと聖母子」,そして次に描く「洗礼者ヨハネ」の3つの絵画は,ダヴィンチ自身が常に手に置くほど思い入れのある作品だと言われています。
(レオナルド・ダヴィンチ:61~64歳)「洗礼者ヨハネ」
「私の後から来るものが救世主である」で有名な洗礼者ヨハネを描いた作品(聖書の登場人物)
レオナルド・ダヴィンチが生涯において,最後に描いた作品(遺作)だと言われています。
ダヴィンチは今までの作品のなかで幾つか,洗礼者ヨハネを*神聖なものと並べて描いています。
*神聖なもの・・・「東方三博士の礼拝」「岩窟の聖母」「聖アンナと聖母子」の下絵案など
このことから,ダヴィンチは洗礼者ヨハネに強いこだわりがあるのではないかと推測する人もいます。
「神聖なものを現実的に描く」レオナルド・ダヴィンチと,「神聖なものが現実に来ると宣言した」洗礼者ヨハネですね!
制作してから3年後となる1519年,ダヴィンチが描いた「洗礼者ヨハネ」は遺作となりました。
「聖書に関する作品」を数多く制作したレオナルド・ダヴィンチは,亡くなる直前にキリスト教の洗礼を受けたと言われています。
【レオナルド・ダヴィンチのメモ書き】
レオナルド・ダヴィンチの亡き後,未公開だったメモ書きや研究物が大量に発見されました。
ダヴィンチは「最後の晩餐」を制作したあと金銭面が豊かになり,勉強のために次々と本を買ってはメモをとる毎日を送っていたようです。
当時,本は一冊で数十万円するほど高価な物だったそうです。
そして,ダヴィンチの勉強メモがとうとう公表。
しかし,メモが大量にあったことと,鏡文字(左右逆)でかかれていたことから,全ての解読に膨大な時間がかかったと言われています。
鏡文字になる理由は,文字の習得が独学だったことや左利きの傾向として表れた説があります。
左利きの人は鏡文字になる傾向があるようです。
また,子どもの頃の鏡文字のまま,大人になる人もいると言われています。
常に新しいことに惹かれるレオナルド・ダヴィンチは,人体研究もそのうちのひとつ。
フィレンツェの病院では解剖を行って構造を分析し,内臓の働きを詳しく書き留めていたようです。
ダヴィンチが描く内臓のスケッチはとても美しかったと言われています。
ダヴィンチは,枝分かれするものは何でも美しいと感じていたようです。
人間の血管や木の枝,川の流れなどは,すべて同じ美しさを秘めていると主張しています。
ダヴィンチのメモは,自身が亡くなる直前に自分の弟子に受け継がせました。
その後,弟子は大切にメモを保管していましたが,その弟子の息子がメモを大量に売りさばいてしまいます。
ダヴィンチのメモは世の中からなくなりつつありました。
しかし,ダヴィンチのメモは人類にとって貴重なものだと宣言され,メモを買い戻したりする回収活動が行われたようです——。
ダヴィンチのメモにみられる哲学
ダヴィンチのメモには次のように記されています。
私は無学の人だ
まだ何も成し遂げていない」
ダヴィンチは*あらゆる分野に精通しながらも,メモにはそう書き残されていました。
(音楽,数学,物理学,天文学,幾何学,解剖学,生理学,力学,光学,航空力学,地理学,地質学,気象学,動植物学,土木光学,建築学,軍事分野)
現在レオナルド・ダヴィンチのメモは,Microsoftの創業者「ビル・ゲイツ」が日本円にしておよそ30億円を支払い,まとめて所持していると言われています。
【おわりに】
ダヴィンチは作品を売るために勉強したわけではなく,自分のために勉強してあらゆる研究を積み重ねていたと言われています。
夜明けから夕暮れまで働いたかと思うと,数日ぼーっと絵画を眺めるだけの日もあり,依頼者を苛立たせるエピソードもあるようです。
しかし,彼に対する尊敬の念が失われることはありません。
膨大な量のメモやスケッチが残されているにも関わらず,ダヴィンチがどのような人物だったかについては,専門家でも正確に捉えることを困難としています。
興味や業績が幅広くて,素顔がハッキリ見えてこないからですね。
研究家の間では,「今でも誰かが描いた人物像が一人歩きしているだけかもしれない」と見解が出るほど——。
ミステリアスで偉大な人物「レオナルド・ダヴィンチ」でした!