【独学王】レオナルド・ダヴィンチ『絵画から学ぶ』(後編)

独学王レオナルドダヴィンチ記事の後編です

前半ではレオナルド・ダヴィンチの生い立ちや,画家として独立するまでの作品にふれました。

(前記事)

約500年経った現在でも世界的に有名なレオナルド・ダヴィンチ。

レオナルド・ダヴィンチが生み出した世界遺産や,未完成ながら名作となった作品をみていきましょう。

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レオナルド・ダヴィンチの絵画

レオナルド・ダヴィンチは年齢とともに作品を生み出し,自分の才能を伸ばし続けた結果,世界的に有名な人物となりました。

収入のほとんどは勉強のために本を買い集める,まさに独学王として作品に顕在しています。

(前回の絵画)

(制作当時の年齢)「作品名」

(20歳)「キリストの洗礼」

レオナルド・ダヴィンチの作品「イエス・キリストの洗礼」

(21歳)「受胎告知」

レオナルド・ダヴィンチの作品「受胎告知」

(22歳)「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」

レオナルド・ダヴィンチの作品「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」

(23歳)「カーネーションを持つ聖母」

レオナルド・ダヴィンチの作品「カーネーションを持つ聖母」

(26歳)「ブノワの聖母」

レオナルド・ダヴィンチの作品「ブノアの聖母」

(28歳)「荒野の聖ヒエロニムス」

レオナルド・ダヴィンチの作品「荒野の聖ヒエロニムス」

(29歳)「東方三博士の礼拝」

レオナルド・ダヴィンチの作品「東方三博士の礼拝」

それでは続きの作品です

(31~34歳)「岩窟の聖母」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品「岩窟の聖母」
『岩窟の聖母』(1483~1486)

 
赤子の洗礼者ヨハネとイエス・キリスト,そして聖母マリアと天使ウリエルを描いた作品。

岩窟がんくつ聖母せいぼは,人物の持ち物や仕草しぐさで誰かを特定できる表現「アトリビュート」が特徴的です。

この作品はダヴィンチのこだわりが強く反映されたのか,世間では問題作とされました。

2020年2月,最新のX線分析により,この絵から隠された下書きが発見され再び話題を集めています。

現在はナショナルギャラリー(ロンドン)にて保存されています。
 

人物の持ち物やポーズなどから誰であるかを特定する「アトリビュート技法」ですが,ダヴィンチは当時のアトリビュートを良く思っていませんでした。

当時に流行したアトリビュートはヨハネは十字架,キリストは天使の輪っか,マリアは青か赤の服を着ていることでした。

『岩窟の聖母』におけるダヴィンチの表現,それは「神聖なものにしかできない二本指を少し前に立てるポーズ」にすることでキリストを表すことでした。

さらに,天使の背中の翼は衣服で隠して盛り上がらせることで翼のある存在(天使である)とする斬新な表現をしました。

しかし,この絵画の制作を依頼した教会側は「天使なのに翼が無い」ことでガッカリし,裁判にまで至りました。

およそ20年後(1495-1508)岩窟の聖母の制作共同者プレディス兄弟によって,天使の翼などをつけ加えられたものが納められることになりました。

後に描き直されたダヴィンチの作品「岩窟の聖母」

描き加えられた「岩窟の聖母」

才能がありながら,なかなか認められないレオナルド・ダヴィンチの人生は続きます。

ある紹介でミラノにいるイルモーロ公という人物にダヴィンチは紹介されます。

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この時期に描いていた作品

「岩窟の聖母」の1年後,ダヴィンチはある有名な作品を描いています

(37~38歳)「白貂を抱く貴婦人」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品「白貂を抱く貴婦人」
『白貂を抱く貴婦人』(1489~1490)

 
ダヴィンチが仕えていた貴族イルモーロ公の妾を描いた作品。(イルモーロ公の依頼で制作)

白貂(しろてん)は上流階級の人である象徴です。また,タイトルに貴婦人とありますが当時17歳の少女の肖像です。

女性の目線は白貂ではなく前方を見ており,当時では珍しい動きのある絵画です。

身体をひねる構図と手のシワや骨格の緻密な描写は,人体構造に詳しいダヴィンチの実力が発揮されています。

「モナリザ」よりも美しいと称されることもある肖像画です。

ポーランドの国宝とされており,レオナルド・ダヴィンチが描いた女性肖像画における全4作品の1つです。
 

背景が黒い理由は,多くの人の手に渡ってきたことや損傷箇所を復元する際に塗りつぶされたと言われています。

「白貂を抱く貴婦人」は18世紀にポーランドの王室に買い取られ,19世紀にはドイツやフランス,ヨーロッパの国々を転々とする数奇な運命を辿りました。なお,このことは20世紀までほとんど知られていませんでした。

「未完成」や「問題作」が続いたダヴィンチですが,今回はビシッとキレイな絵に仕上がっていますね!

この絵を依頼したイルモーロ公が,後々「最後さいご晩餐ばんさん」をダヴィンチに依頼します。

(38~44歳)「ミラノの貴婦人」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品「ミラノの貴婦人」
『ミラノの貴婦人』(1490~1496)

 
ダヴィンチが仕えていた貴族イルモーロ公の別の妾を描いた作品。(イルモーロ公の依頼で制作)

ダヴィンチのスフマート技法が上達し,いよいよ「モナリザ」を描く直近の肖像画です。

レオナルド・ダヴィンチが描いた女性肖像画における全4作品の1つです。
 

 

続けてビシッと2つの肖像を描いたことで,ダヴィンチが仕えていたイルモーロ公から称賛されました。

顔の輪郭をぼかすスフマート技法が,いよいよ「モナリザ」を描くレベルに達してきましたね。

 

「ミラノの貴婦人」の次の作品が「最後さいご晩餐ばんさん」となります。

 

(43~46歳)「最後の晩餐」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品「最後の晩餐」
『最後の晩餐』(1495-1498)

 
イエス・キリストと弟子12人が食事中,裏切り者がいると判明し騒ぎになる聖書の内容を描いた作品。

レオナルド・ダヴィンチが仕えていたイルモーロ公の要望で,「縦4m20cm 横9m10cm」と大きなサイズの壁画へきがとして描かれました。

「最後の晩餐」は作品が描かれたときの状態を維持できておらず,当時の姿を留めている部分はおよそ2割程度とされています。

1日に1ミリしか進めることができない修復作業によって,形を留めて現存している奇跡の作品と言えます。

当時のダヴィンチのスポンサーはミラノにある「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院」に寄付しており,修道院の食堂の壁画として「最後さいご晩餐ばんさん」の制作をダヴィンチに依頼しました。

一日に何千人もの人が絵画を見に来るようになりますが,作品を見られる時間は15分しかありません。

「最後の晩餐」は中央に描かれたキリストが「この中で裏切る者が現れる」と宣言し,弟子たちが慌てる様子を描いたシーンです。

多くの画家が描こうとしましたが制作の難しい作品でした。

レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」が評価されているポイントは,「誰が裏切るか分からない様子」と同時に「誰が裏切るか分かる描写」がしっかり抑えられている点です。

中央にいるキリストと同じタイミングで食べ物を手に取る人が「裏切る人」と聖書に記されています。

「裏切り者のユダ」の配置は,制作にあたり多くの画家を悩ませました。

制作困難とされる「最後の晩餐」ですが,レオナルド・ダヴィンチはイエスとユダのやりとりをしっかりと描いています。

ダヴィンチの作品「最後の晩餐」におけるイエスキリストとユダの手の描写イメージ
ユダの手とイエスの手が同じ方向へ

ユダはあらぬ方向を見ながらさりげなく手を伸ばしています。

人体じんたいに詳しいダヴィンチだからこそ,自然に体をひねった姿勢を描けました。

イエスを中央に配置しながらも,どの人物が裏切り者のユダかわかるように絶妙な表現で描かれています。

 
最後の晩餐の保存状態について

壁画を描くにあたり水彩絵具が相性が良く馴染なじみやすいとされていますが,レオナルド・ダヴィンチはテンペラ技法という油と卵を混ぜたもので描くことが得意でした。

しかし,テンペラ技法の時間とともに腐りやすい性質によってカビの侵食が起こりました。それに加えて戦争による被害や勝手に描き直す人が現れたりします。

さらには換気口をつけるという理由で壁画の下部分はくり抜かれてしまい,今も中央のキリストの足下はありません。

「最後の晩餐」が原型を留めている部分は2割程です。

1日1ミリしか進めれない修復作業によって,なんとかかたちを留めながら今も厳重に保存されているのです。

「最後の晩餐」の実物にたどり着くまでには,何重もの扉を通り抜けないといけません。

壁画の状態を守るための湿気対策が徹底されています。

「最後の晩餐」は損傷や被害の多い絵画なのです。

修復作業は透明のコーティングの上から色を加えているので,ダヴィンチの作品に直接は触れていません。

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次の作品の前に?

「最後の晩餐」から1年後,丁度この時期にダヴィンチは「知られざる作品」と呼ばれる肖像画を描いていました。

50代を迎えるレオナルド・ダヴィンチ

レオナルド・ダヴィンチは50代を迎えます。

1499年にミラノを去り,再び好奇心の赴くまま新しいことを始めます。ベネチアでは海の水から街を守る方法を研究し,ローマでは壮大な建築物を設計しました。

そして50代を迎えたダヴィンチは,若き日に画家としてスタートしたフィレンツェに戻りました。

そこでは地図を制作したり,建築家やデザイナーとしてもひっぱりだこです。さらには川の流れを船で通れるように計画するといったこともしました。

画家としても称賛を浴び誰もがダヴィンチの絵を楽しみにしていましたが,ゆっくりと丁寧な仕事ぶりは変わることはありません。ある人は「ダヴィンチの作品は素晴らしいがなかなか完成しない」と嘆いたようです。

たまにしか筆を取らなかったとされるダヴィンチですが,ある商人から「妻の肖像を描いてくれ」と依頼されます。

(51~65歳)「モナ・リザ」

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品「モナリザ」
『モナ・リザ』(1503~1517)

 
「リザ・デル・ジョコンド」という婦人を描いた作品。

フランスやイタリアでは,別名「ラ・ジョコンダ(ジョコンダ夫人)」と呼ばれます。

モナリザは長きに渡りモデルが不明でしたが,2005年に「リザ・デル・ジョコンド」という女性であることが判明しました。

絹織物を扱う商人であるモナリザの夫「フランチェスコ・デル・ジョコンド」の依頼(妻の肖像画を描いて欲しい)によって制作されました。

「モナ・リザ」とタイトルをつけたのはダヴィンチではなく,後世によってつけられました。「モナ」はイタリア語で「貴婦人きふじん」という意味です。

ダヴィンチは人間の輪郭りんかく線が見える描き方に疑問を抱いていたので,輪郭線を指でこすってぼかす作業を何年も続けて完成させました。

モナリザの表情のやわらかさは,そういったスフマート技法(ぼかし)を何年も続けることによって生み出されています。

レオナルド・ダヴィンチが描いた女性肖像画における全4作品の1つです。

現在はパリのルーヴル美術館に飾られています。
 

モナリザの夫フランチェスコ・デル・ジョコンドですが,ダヴィンチが制作中の作品を持ってイタリアを離れたことで完成品を受け取ることはできませんでした。ダヴィンチはその後も,宮廷でモナリザの制作にあたります。

ダヴィンチが仕えていた貴族イルモーロ公が戦争で逃走したことにより,ダヴィンチはその後は納期に追われずじっくりと「モナリザ」の制作にあたりました。

モナリザの魅力は,微笑みをみせるモナリザがまるで絵を見ている人に会話しようと感じさせるところにあります。そのため,見る人と作品の間に特別な繋がりが生まれることで見るたびに違う印象を与えるのです。

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(56歳)「聖アンナと聖母子」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品「聖アンナと聖母子」
『聖アンナと聖母子』(1508)

 
聖母アンナの膝に座る聖母マリアが羊を抱える赤子イエスを抱き抱える様子を描いた作品。

人物の視線や空気遠近法,スフマート技法などあらゆる表現の集大成が描かれています。

人体に詳しいダヴィンチだからこそ,人物は互いに自然な構図で組み合わされています。

「聖アンナと聖母子」の下絵段階の一案では,赤子イエスが抱える羊が洗礼者ヨハネであったと言われています。
 

 

この作品は「モナリザ」と同時進行で制作していることが時系列からわかります。

「モナリザ」と「聖アンナと聖母子」,そして次に描く「洗礼者ヨハネ」の3つの絵画は,ダヴィンチ自身がつねに手に置くほど思い入れのある作品となりました。

 

(61~64歳)「洗礼者ヨハネ」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品「洗礼者ヨハネ」
『洗礼者ヨハネ』(1513~1516)

 
「私のあとから来るものが救世主である」で有名な洗礼者ヨハネを描いた作品。

レオナルド・ダヴィンチが生涯において最後に描いた作品(遺作)となります。

ダヴィンチは「東方三博士の礼拝」や「岩窟の聖母」,「聖アンナと聖母子」の下絵案など洗礼者ヨハネを神聖なものと並べて描いています。

このことからダヴィンチは洗礼者ヨハネに強いこだわりがあるとされています。
 

 

「神聖なものを現実的リアルに描く」レオナルド・ダヴィンチと「神聖なものが現実リアルに来ると宣言する」洗礼者ヨハネですね。

制作してから3年後となる1519年,ダヴィンチが描いた「洗礼者ヨハネ」は遺作となりました。

「聖書テーマの作品」を依頼から多く制作したダヴィンチですが,亡くなる直前にキリスト教の洗礼を受けたと言われています。

レオナルド・ダヴィンチのメモ書き

レオナルド・ダヴィンチの亡き後,未公開だったメモ書きや研究物が大量に発見されました。

ダヴィンチは「最後さいご晩餐ばんさん」を描いてからは金銭面が豊かになったため,勉強のために次々と*本を買い勉強してメモをとる毎日でした。(*当時,本は一冊数十万円する高価なものでした)

そのメモがとうとう公表されましたが,大量にメモがあったことと鏡文字(左右逆)でかかれていたことから全ての解読に膨大な時間がかかりました。

鏡文字になる理由は,文字の習得が独学だったことや左利きの傾向とした説があります。

左利きの人は鏡文字になる傾向があります。また,子どもの頃の鏡文字のまま大人になる人もいます。

常に新しいことに惹かれるレオナルド・ダヴィンチ,人体研究もそのうちのひとつです。フィレンツェの病院では解剖を行って構造を分析し,内臓の働きを詳しく書き留めました。

ダヴィンチが描く内臓のスケッチはとても美しかったと言われています。

レオナルド・ダヴィンチが残した数々のメモ

ダヴィンチは枝分かれするものは何でも美しいとしています。人間の血管や木の枝,川の流れなどはすべて同じ美しさを秘めているとダヴィンチは主張していたそうです。

ダヴィンチのメモはその後,自身が亡くなる直前に自分の弟子に受け継がせました。弟子は大切にメモを保管していましたが,なんとその弟子の息子がメモを大量に売りさばいてしまいます。

ダヴィンチのメモは世の中からなくなりつつありましたが,ダヴィンチのメモは人類にとって貴重なものだと宣言されます。その後,メモを買い戻したりする回収活動が行われました。

さて,医学をはじめ他分野でも業績を挙げる「万能の天才」レオナルド・ダヴィンチ。

ダヴィンチのメモにはこう記されています。

私は無学の人だ

まだ何も成し遂げていない」

(音楽,数学,物理学,天文学,幾何学,解剖学,生理学,力学,光学,航空力学,地理学,地質学,気象学,動植物学,土木光学,建築学,軍事分野)

ダヴィンチはあらゆる分野に精通しながらも,メモにはそう書き残されていました。

現在レオナルド・ダヴィンチのメモは,Microsoftマイクロソフトの創業者「ビル・ゲイツ」が日本円にしておよそ30億円を支払いまとめて所持していると言われています。

おわりに

ダヴィンチは数々の作品を売るために勉強したわけではなく,自分のために勉強してあらゆる研究を積み重ねていました。

夜明けから夕暮れまで働いたかと思うと数日ぼーっと絵画を眺めるだけという日もあり,依頼者を苛立たせるエピソードもあるようです。

しかし,彼に対する尊敬の念が失われることはありません。

膨大な量のメモやスケッチが残されているにも関わらず,ダヴィンチがどのような人物だったかについては専門家でも正確に捉えることを困難としています。

興味や業績が広く素顔がハッキリ見えてこないのです。

そのため研究家の間では,今でも誰かが描いた人物像が一人歩きしているだけかもしれないと見解が出るほど—

ミステリアスで偉大な人物レオナルド・ダヴィンチでした。

 

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